あなたがパンツを覗いたとき、パンツもまたあなたのことを覗いている。
みなさんこんばんは。ケンコウです。
タイトルが犯罪臭に満ちていますが、犯罪に手を染めたわけではありません。全く関係ありませんよ。
では、ブログタイトルの下に書いてある
「不健康があるから、健康でいられる」
みたいなやつについて書いていきます。
自分、「正義は悪があるから、正義でいられる。そして正義もまた悪である」
っていうやつ、大好きなんです。
この文章が好きってことではなくて、この文章の造りが好きで
「AがBの時、BもまたAである」
みたいな、逆説の文章っていうのかな、そういうのが大好きなんです。
立場を変えて見ると、見え方が変わってくるってやつ。
正義が良くて、悪は良くない、みたいなのが一般的な見解じゃないですか。アンパンマンが正義で、バイキンマンが悪。
でも、バイキンマンからしたら、アンパンマンが悪かもしれないじゃないですか。だって、アンパンマンもバイキンマンも自分が良しとしていることをしてるに過ぎないんだから。まぁ、人に迷惑をかけてるかけていないはとりあえず置いておくけど。
それに、アンパンマンはバイキンマンをやっつけるけど、やっつける相手がいないとき、アンパンマンはなんて思うだろうって思うんです。
もしかしたら、バイキンマンが存在しなければ、アンパンマンは存在し得ないかもしれない。
アンパンマンが正義の時、バイキンマンもまた正義かもしれない。
っていう、こういう多角的な見方をして、立場を変えて考えるってのが好きなんです。あぁなるほどなって思える。
それで、タイトルの件なのですが。
これもアンパンマン正義悪理論と同じだと思うんです。パンツを覗く人が悪と皆思うが、その時、覗かれたパンツもまた、覗いているのである。忘れてはいけない、パンツもまた、覗いているのである。パンツを覗く人もまた、正義かもしれない。そう、正義かも、しれない…。
こういう多角的な見方をすることは一見いい方に捕えられがちですが、そうでもないと思うんです。気づかなければ、楽だったなーって思うこともあります。
悪いことをした人がいたら、あの人が悪い!って単純に言える方がきっと楽に生きていけると思うんです。
いやでも、あの人もきっとあれが大変で、こうなっちゃったんだよって思ってしまうと、モヤモヤしてなんだかすっきりしません。もちろん良し悪しの判断はするのですが、ハッキリスッキリとまではいかない。どこか引っかかってしまう。
たくさんの見方が出来ると、人生は豊かになるとは思うけれども、使いようだなって僕は思います。この見方はどんな人にも、その人の気持ちに寄り添うことができるので、今の僕はこういう見方が出来て良かったなーって思います。
多角的な見方とは、使いどころを選んでうまく付き合っていけたらなと、私は思う。
忘れてはいけない。あなたがパンツを覗いたとき、パンツもまたあなたのことを覗いているのである。
まぁ、パンツ覗くのは悪ですけどね。
清く正しく生きましょう。それでは。